芦国プロジェクト②
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年は36年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、自営業という道を選びました。
当初はあれしてこれしてと考えていましたが、実際にはなかなか進まない。
会社員の生活では経理やWEB、製造、営業と分業されていましたが、
全部一人でやるとなると結構大変。
特にWEB関係。
ヤフーショッピングをオープンするのに3ヶ月もかかった。
もう一つが経理ソフト。
やってみたらわかるだろうと安易に考えていたけど、
全く入力の仕方がわからない。
多分、この2つで4ヶ月間はかかったと思います。
話は元に戻して、芦国プロジェクト。
上方の浮世絵はそれほど歴史は古くない。
まずは浮世絵の話。浮世絵は錦絵のことを言うようで、
それ以前の役者絵は錦絵ではなかったらしい。
この2冊を買って勉強中です^_^;
この本によれば、錦絵は江戸から入ってきたもので、江戸時代の後期1791年以降の話。
まず最初に上方浮世絵を描いたのは「流光齋如圭」という方。
この方の絵はとても特長があり、写実的であった。
その後、弟子の「松好齋半兵衛」という方が出てきて、
そして、今回の「蘭英斎芦国」が出てくる。
順番はこうだが、時代はダブっているが、少しずつズレる。
活躍時期が流光齋如圭が1790年代で、芦国は1800年代。
芦国の生年ははっきりとしていないが、多分1975年前後だと思われる。
そして亡くなったのは1820年と書物には書かれているが、
今回1818年とわかった。
この墓は前回も書いたが、和泉砂岩という石で出来ている。
とても柔らかいので、彫りやすいという特長がある。
そのため、墓の面にもすばらしい彫刻がある。
それがこれ。
これは芦国自身の絵を彫ったものだと思われる。
しかし、状態はかなり悪い。
裏面は既に崩落しており、残り三面も崩落寸前。
この崩落を止めるために、すごい人が現れた。
日本の国宝の修理をされている方で、主に仏像の修復をされている方。
たとえば、運慶の仏像も修復されており、私のよく知っている吉野の
そんなすごい方がボランティアで参加してくれました!
左の方がその方。
右は私の従兄弟の浜田さん。つむら工芸の社長です。
ということで修復作業が始まりました。
続きは次回へ