アートで元気になるプロジェクトニュース

アートで元気になるプロジェクトのニュースと活動記録です。

芦国プロジェクト始動しました①!

きっかけはご縁から。いろんなところで、いろんな方と会って、いろんなことをしているとご縁は広がるもんなんですね~。

実は昨年、大阪大学が主催の「大学博物館を活用する文化芸術ファシリテーター育成講座」を受講し、「道頓堀の看板」をテーマとした小冊子を制作しました。

それがこれ。

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とんぼりって言葉、「とん、とん、とんぼり、道頓堀の~」っていうCMソングを思い出します。

この今やアジアのエンターテインメントシティでもある道頓堀。ここには今に至るまでに数々の歴史があります。そのすべてを書くわけにもいきませんので、この小冊子は「看板」に注目したものです。

その中で私が書いたページが2ページあります。

私の祖父(津村英雄)は映画館の看板絵師でした。その祖父の師匠は3世芦国(荒金芦国)と言います。その師匠に初代芦国(一勇斎芦国、稲葉芦国)という方がいました。

この方は歌川派の系列で、その上をたどると歌川国芳に繋がります。

詳しくは下記を

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昔の人は偉かった!つくづくそう思いますね。

さて、今回の発端はこの芦国です。

実は天王寺区のお寺から芦国の墓が見つかったんです!これは初代芦国の墓ではないのか!という一報が入りました。聞くところによると、無縁仏の場所にあり、砂岩で出来ているため崩壊寸前の状態。

系列の者としては修復保存せねばならぬ!とちょっと思いました。

しかし、2日間程よ~く考えてみたら、ちょっとおかしい。

初代芦国は明治時代の人、見つかったお墓は1820年に建てられたもの。1820年は文政3年で江戸時代。?????

そう別人だったんです!江戸時代の芦国は「蘭英斎芦国」と言います。この大阪に時代は違うが芦国は二人いた!

ということは全く知らない人?

ここでまた疑問が出てきます。

何故、明治時代の(一勇斎)芦国は、江戸時代にいた(蘭英斎)芦国の名を使ったのか?

一勇斎芦国は国芳の系列なので、弟子は皆「芳」の文字が付いてます。しかし、芦国と名乗った。これは何か関係があるのかも・・・

しかし、江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけての資料はあまり残ってません。

そこで時系列や蘭英斎芦国の芦国派の活動などを調べていき、なんらかの関係があるのでは?という結論に達しました。

この詳細はまた後日に書きたいと思います。

ということ、この上方浮世絵「蘭英斎芦国」のお墓を修復保存する活動が始まりました!

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